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このサイトは、インターネットで野球投手・野茂 英雄を調べた情報について発信しているサイトです。

野茂 英雄はスゴイ、ピッチャー!

インターネットで野球投手・野茂 英雄を調べたら感動して泣いてしまった。 野茂 英雄は、 大阪府大阪市出身の元プロ野球選手(投手)。 ニックネームはドクターKまたはThe Tornadoと言われ親しまれてきた。 小・中学校時代は全くの無名選手だったが、 体をねじって投げると直球の威力が増すと父親から教えられ、 後のトルネード投法の原型となるフォームで投げていた。 高校時代の監督はその投法をつむじ風投法と名付けた。 名門野球部のセレクションはすべて不合格となり、 高校野球全国大会とは縁の無い公立高校に進学する。 高校卒業後、新日本製鐵堺へ入社し、社会人野球選手としてスタートする。 このときに最大の武器となるフォークボールを習得した。 その後、 ドラフト抽選の結果近鉄が交渉権を獲得した。 契約時に投球フォームを変更しないという条項が付け加えられた。 この投球フォームを変更しないという野茂の意志の強さに脱帽! おそらく、このフォームが一番自分に合ったフォームだと野茂は確信していたと思う。 やがてこの意志の強さが、 同じ投手出身の監督・鈴木啓示との確執を産むことになる。 野茂は近鉄への入団条件に「投球フォームの改造をしないこと」を挙げていた。 入団当時の仰木監督はこれを快諾し、 調整方法も本人に任せたため、 野茂は仰木を信頼して尊敬するようになった。 自分を信頼してくれた仰木監督を胴上げするためにチームに貢献しようと頑張っていたが、 仰木監督を辞められたことでその気持ちは薄れてしまった。 1993年に監督に就任した鈴木は、 先発で317勝の実績を挙げた投手出身、 フォームや調整法など様々な事に関して野茂に干渉した。 鈴木は野茂に関して三振は取るが四球が多すぎる、 フォームを改造しなければ、 今のフォームではいずれ通用しなくなる。 と野茂の制球力の悪さに不満を持ち、 完全に野茂のフォームを否定していた。 こうした指導法が元で鈴木監督と確執が生まれ、 近鉄退団を決意する理由にもなった。 近鉄を退団し、メジャーリーグに挑戦する。 ドジャースを皮切りに、なんと11球団で真剣勝負に挑み続け、 最多奪三振、ノーヒットノーランなど数々の栄光を手におさめ、 2008年に引退した。 このときの野茂の心境が涙を誘う。 自分の中ではまだまだやりたい気持ちが強いが、 自分の気持ちだけで中途半端にしていても周りに迷惑をかけるだけ。 引き際がいさぎよしである。 まさに武士道精神と相通ずる思いがしてならない。 野茂 英雄は我々に教えてくれた。 男はだまって、何があろうと夢を追い続けろ。 男はだまって、夢のために自分自身を信じてチャレンジしろ。 男はだまって、正しいと思ったことは、誰がなんと言おうが貫き通せ。